ソコニー建設の頃
鈴木昭作さんインタビュー

旧本牧スタンダード石油社宅は1949-50年にかけて白石建設(株)によって横浜の本牧に建設されました。当時、建設に携わった白石建設OBの鈴木昭作さん(藤沢市在住)が語るその頃の様子です。
鈴木さんは何歳の時に建設現場へ入られたのですか?
学校卒業してすぐですから21歳かな。私は横浜の高等工業を出まして、会社へ飛び込んで文字どおり一年生でした。
当時はどんな様子でしたか?
最初ここへ乗り込んで来た時は、人間の背よりも高い雑草が生えていて、その草刈りだけでたいへんだったんです。草を刈って、なんとか人間が入って、道を切り開いて基地をつくり、それで工事が始まったんです。
何人くらいで建設をやりましたか?

この敷地造成をやっている頃は、土方だけで50人ぐらいはいましたかね。
だって、機械なんか何にもない時代で、すべて人力でやんなきゃいけないんですから・・・。当時、白石建設には12〜13人しかおりませんで、技術者の出身母体である大林組に協力を仰いで、この建設の頃には半分ぐらい来てくれました。
戦後まもない時代でコンクリートの建物は珍しかったのでは?
日本の今の感覚でいうと、コンクリートというものは流れていくものだというのがありますが、コンクリートは水とセメントをこね合わす、その水が多ければ強度がでない。だから、水はなるべく少なくして硬いコンクリートにしないと強度がでないんです。当時、レーモンドさんは硬いコンクリートを要求して、全然流れない、ばさっと塊になったままのような硬いコンクリートを要求しまして、それを我々の用語で「ジャンカ」というんですが、雷おこしみたいになっちゃうと駄目なんです。
多分、あの社宅はきれいなコンクリートが打てていると思うんですけど、そういうコンクリートを打つのが至難のわざだった。それが一番苦労したかもしれません。あれだけ見事にぴちっと鉄筋でも組んであり、型枠でもできているのは、多分この時以後、未だにないと思います。
私は今でも覚えていますけども、そのコンクリートをいろんな試験場とか大学へ持って行き、潰してもらって強度を調べるんですけど、今の横浜国大、当時の横浜高等工業へ持って行って潰してもらったら、おったまげていました。機械が壊れちゃうよなんて・・・。それくらい硬かった。コンクリートは1平方センチメートルに180kgの圧縮応力に対応できるように作るんですけども、我々の作ったコンクリートは400kgを超えていましたから。多分2棟壊した時に壊した職人さんは音を上げたと思いますよ。固くて壊れねえよって・・・。
白石建設というのはどういう会社でしたか?
白石建設というのは、レーモンドさんの自伝にも書いてありますけれど、レーモンドさんの親友で白石多士良さんという人がいまして、戦前からレーモンドさんとおつき合いしていたわけですよ。レーモンドさんが戦後日本へまた来るというんで、白石多士良さんがレーモンドさんの仕事を専門にする白石建設という会社を作ったわけです。それが昭和24年のことかな。
昭和25年には今の竹橋の毎日新聞社のある所にリーダーズ・ダイジェストの本社を建設した。その敷地にレーモンドさんも自分の事務所を仮設の丸太で建てまして、その頃にはレーモンドさんの事務所だけで40〜50人いましたかしら、設計事務所としては当時断然大きかったと思います。
レーモンドさんや奥さんのノエミさんはどんな人でしたか?
レーモンドさんもそうですけど、奥さんのノエミ・レーモンドという方は本当に気さくな方でしてね。私は今でも覚えていますけどね、我々の現場事務所へ来て「ちょっとトイレを拝借します」なんて、我々の現場のトイレなんて、汚いものだし、外人が当時のしゃがむトイレなんて使えるのかと思ったけれど、平気で用を足してね、へえーと思いました。日本語も奥さんの方が上手でしたね。けれども、レーモンドさんも結構しゃべりましたよ。私なんて、ほんとに胸ぐらつかまれて、怒られたこともありますから・・・。その頃、レーモンドさんは建築、衛生、設備と分離発注をしていましたが、戦前に建てた住宅の改修工事やった時に設備担当がミスをした。私のところは関係ありませんと言ったら、すべてを見るのがおまえたちの義務なんだと怒りました。確かに厳しい人でしたね。
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スタンダード石油社宅の特徴はどんなところにありますか?
外装の杉の板、これなんかが今どうなっているか、たいへん興味がありますけれども、杉の柾(まさ)で、当時は無垢ですからね。今みたいに合板技術もそんなにありませんから無垢で、今やったらたいへんなことになっちゃうと思いますね。内部は壁が欅(けやき)の柾の合板で、天井がしおじという木の柾の合板で、内部は合板でしたけども、外部は確か杉の板だったと思います。
日本人のメイドさんを雇わないとこういうところで生活できできなかったはずで、メイド・ルームの面積が結構ありましたね。
入り口の石垣なんかも間知石と言って、石と石の間の目地にモルタルセメントを詰めるのが普通ですが、日本の昔の城の石垣のように目地を詰めないんですよ。目地の所々が太くなっていて、そこに味がある。それを「空積み」といって、空積みのできる職人を捜すのがたいへんで、レーモンド事務所の技術者もどこまで要求したらわからないようでしたが、目地をきちんとくっつける、それも苦労した一つでしたね。